reconstruct

震災当日~医院到着

医院に入ると待合室には多くの人がおり、当直看護婦がけが人の処置をしていた。「入院患者さんは?」、「15名全員無事です。そこにおられます」。入院患者さんは全員着替えをすませて、待合室の隅に座っておられ、その他にも老人やけが人、産気づいた産婦などが避難して来られていた。階段を駆け上がり、階段室から各階の状況を見ながら5階へ行くと、医局、事務室は本棚・備品が倒れ、その上に屋上の高架水槽が倒壊したためか水浸しで、足の踏み場もない状況であった。急いで1階に降りて診察室に入ると、ここも機器・備品が倒れ、やはり水浸しであった。その中からイソジン、アルコール綿とガーゼ、圧迫包帯をあるだけかき集め、けが人の消毒、圧迫止血を看護婦に指示し、外に出てみると100M程東側で火の手が上がっていた。

火の手は小さく、途中には大きなビルや比較的広い道路もあるので火事の心配はないと判断し、近所の人達と協力して倒壊家屋からの老人達の救出を続けた。ふと見ると親しくしているC氏とお嬢さんがパジャマ姿のままで震えながら一所懸命に活動しておられる。車に引き返してセーターとジャンパーを取り出し、ジャンパーに着替えて、ジャケットとセーターをお二人にお貸しする。隣家のNさんが「寝たきりのお婆さんが閉じこめられている」といわれるので、医院から担架を引っぱり出し、C氏と男性二人を呼び、戸を蹴破って中に入り、やっとのことでお婆さんを救出。そうこうしている間にも火の手がだんだんと医院に近づいてくる。万が一の場合を考えて医院にいる入院患者さんや避難している人達40名ほどを近くの中学校へ避難させることにし、駆けつけた看護婦や近所の人達と移動を開始。途中の幹線道路には消防車が1台来ていたが、水が殆ど出ず、庭木の水撒き程度の水量のホースを持って猛火に必死で立ち向かっていた。

移動が終わった頃には火の手はすでに医院のすぐそばに迄達しており、院内の消化器10数本をかき集め医院横の路地に配置して近所の人達と消火を試みたが到底太刀打ちできずに諦める。院内に人が残っていないのを確認するために各階を見回り、5階に行った時に持ち出さなければならない物を思い出し、足の踏み場も無くなった事務室に入り、散乱した中からやっと兵庫県眼科医会の角印4個と会長の印を見つけ出してバッグに納め、金庫を開けて銀行通帳、各種印鑑、権利書などを取り出す。バッグ、ポケットはすでに一杯となり、また、窓の外には火の手が見えており、約1週間分の窓口収入の現金はそのままで、金庫の扉を閉める暇もなく医院の外に飛び出した。