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震災翌日(平成7年1月18日)~自宅の様子

震災翌日の1月18日、昼頃に目覚める。ガスが止まっており、暖房が出来ず寒い。パジャマの上にトレーナーとカーディガンを着て、いつもの調子でトイレに入る。そうだ、水洗が出来ないのだと気づき、新聞紙を持って庭に出て、寒風の中で用を足す。洗面所で手と顔を洗おうとコックをひねるが、水が出ない。そうだ、そうだ、断水なんだ。地震直後の2~3時間は水道水が出ていたようで、その間に家内が風呂桶いっぱいに水をためていたので、洗面器で汲み上げて顔を洗う。コーヒーを作るお湯がないし、寒いので、お酒を飲みながらトーストをほおばる。

さて、家の中の状況はと、見て回る。台所、リビングは家内が既に片づけており、破損した食器、ガラス器類は整理されていた。家自体の損傷も軽微のようだ。問題は私の趣味および仕事部屋である。のぞいてみると案の定、長年苦労して集め、修復して陳列していた古典ラジオやラッパ型スピーカーが全て棚からコピー、ファックス、パソコンの上に崩れ落ち、破損した真空管のガラス片が散乱している。物欲が失せており、壊れたラジオ、スピーカーを全て、庭に放り出し、寝室の落下して壊れたテレビもついでに放り出す。一通り家の中を片づけた後は、リビングに戻り、テレビの前に釘付けとなる。水は出ないが、私の飲料水(ビール・酒類)も、おつまみも、幸い豊富にある。当分は閉じ込められても生きられる。医院も焼けてしまい、この先のことは判らないが、こんな時にはジタバタせずに、よく食べ、よく飲み、よく寝て、それから考えるのが私のやりかた。酒を飲みながらテレビに映し出される神戸の惨状に見入る。

家内は数十回に1回程しか通じない電話をかけまくり、職員の安否を確認している。家族のパーちゃん、グーちゃん(パグ犬の夫婦)は、いつもとは違い、おとなしく足下に寝そべっている。我が家は六甲山の麓にある新興住宅街で、20数軒しか住んでおらず、普段でも静かなところだが、今日は人影もなく、また、イノシシの家族も出てこず、異常に静かである。リビングからは東神戸、阪神間、大阪湾が一望できるが、市内の何カ所かで煙が上がっている。

inoshishi