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診療再開まで~始動

1月19日からは毎朝6時に起き、渋滞を避けるため出来るだけ早く家内と共に家を出て、2時間程かけて医院に向かい、暗くなる5時頃まで後片づけをして、3~5時間かけて帰宅する毎日が続いた。電気、水道、ガス、電話の全てのライフラインの途絶した中での悪戦苦闘であった。地震で全てのものが倒壊し、その後の火事でやられ、煤と油煙にまみれた瓦礫の中での、真冬の時期の作業は一生忘れることのない想い出となるであろう。

交通機関の途絶えた中を毎日7~8名の職員が出てきてくれた。力仕事に男手が必要であったが、私の甥とその友人、勤務医師のご子息とその友人、薬局をしておられるF氏、S製薬のM氏、E医療器械会社の職員そして隣区で開業しておられる鳥羽先生までもが応援に駆けつけて下さった。

一番恐れたのは大雨が降って、雨が焼け落ちた窓から降り込み、折角残った1階部分が水浸しになって使用できなくなることであり、早急に雨に対する補修を行う必要があった。神戸では入手が困難であったので、東京の親戚にブルーシート、布製ガムテープ、軍手を大量に送ってくれるように依頼した。即日、特大ブルーシート5ダース、ガムテープ10ダース、軍手20ダースを発送してくれたが、手元に届くのに10日間を要した。四国の友人には携帯コンロ用のガスボンベを依頼。宅急便の届く、北区の友人の病院宛に10ダースを手配してもらった。兵庫県の奥の社町の友人はプロパンガスボンベとコンロを自ら運転して届けてくれ、黒田庄町の後輩は多量のプロパンガスボンベとファンヒーターを送ってくれた、また医院の近くで油屋をしていたF氏は水道が復旧するまでの間、毎日200リットルの水を医院まで運んできて下さった。本当に多くの方々に、色々と助けていただき、感謝感激。

焼け残ったベッド7台と患者給食用の食器約30セットは近くの病院や福祉センターに提供し、手の空いた病棟看護婦6名には近くの病院へ応援に行ってもらった。