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震災翌日~焼跡から

暗くなった頃に、医院の近くに住んでいる看護婦から電話が入る(10円玉公衆電話からは電話が通じていた)。『火がおさまって近づけるようになったので、医院を見に行ったら一階にカルテが散乱していました』、「エッ!焼け残っているの?」、『待合室から受付を見ただけですが、カルテが散らばっていました』。急遽、着替えて、家内の車を家内に運転させ、懐中電灯と缶コーヒー、パンを持って医院に向かって出発。4時間程かかって医院近く迄たどりつく。

yakeato医院周辺は殆ど全て焼失しており、真っ暗闇の中に残り火がくすぶっていた。懐中電灯で足下を照らしながら、瓦礫を踏み分けて医院へ向かう。医院の焼けこげた裏門の鍵穴に鍵を差し込みひねると、カチッと音がする。扉を開けて院内に入る。検査室に入ると中は煤で真っ黒で、殆どの器械が倒れている。診察室も真っ黒で、水浸し、なんと、スリットランプを載せているボトムヘビーなスライディングテーブルが2台とも倒れている。受付を見ると、カルテ棚が倒れ、カルテが散乱しているが、燃えてはいない!。ヤッター、助かった(1階の東面は窓となっているが、西面は全て壁となっており、また、火の手が上に拡がり、窓も全て耐火・網入りガラスであったので、かろうじて焼失を免れたようである。2階・3階の病室部分は殆ど鉄骨を残すのみの瓦礫の山、4階の手術室も真っ黒。おそるおそる5階へあがる。

昨日、5階の事務室に入り、眼科医会関係の印鑑を探し出し、金庫を開け、銀行通帳、印鑑、権利書等は取り出したが、1週間分の窓口収入の現金は取り出す暇もなく、耐火金庫の扉を閉めずに飛び出した。1、2秒我慢をすれば金庫の扉を閉めることが出来たのに、窓の外に火の手が迫っており、臆病な私には、その1、2秒が恐ろしく、扉を閉めずに飛び出したことが悔やまれる。万一の可能性を期待して煤で真っ黒、水浸しの中に散乱した本や、備品を踏み分けて事務室に入る。スチール机の下の金庫を覗く。あったー!、煤で真っ黒になっているが、燃えずにビニール袋が残っている。毎日の外来収入、入院収入、コンタクト収入を別々に入れた、1週間分の20個程のビニール袋が焼け残っている。宝くじに当たったような気分で、総計200万余円の現金を携え、意気揚々と帰路に就く(この現金が、銀行で引き出しが出来るまでの間の貴重な軍資金となった)。

帰宅して、深夜は比較的に電話がかかりやすくなっていたので、連絡の取れた数人の職員に、明日より医院の清掃を始めるので、出てこれる人への連絡をするように依頼し、就寝。